2007年12月20日放送の「NEWS23」にて、五木寛之が対談で出演していました。最近、彼は『人間の関係』を上梓したとのこと。その中で、自身が35歳から現在にいたるまで、大きく分けて3回の鬱病を患っていたことを明かしているといいます。

バブル時代が過ぎた頃から、「鬱の時代」であると五木さんは言います。「行け行けドンドン」という躁の時代は終わりを告げ、次第に人々は鬱屈していったとのことです。そして、現在ますます多くなっている鬱病に関しては、「マグマが溜まっている休火山のような状態」であると表しています。一方、鬱病で自殺をしてしまう人たちは、「柳のようにしなることが出来ず、硬い心が折れてしまったのだろう」と推測しています。

また「この時代は関係性が途切れてしまっている」と言っていました。親子であったり、夫婦であったりと、その関係性が途切れてしまったがため、孤独を感じ、そのことが鬱病が多くなってしまった原因の一つではないか、そして悲しいことは悲しいとしっかりと感じ、泣くことがなくなってしまい、そのやり場のなくなった悲しみがより鬱屈させていくのだ、と分析していました。

そんな鬱病の中、五木さんは三冊のノートをつけ始めたそうです。まずは、「嬉しかったこと」を綴るノート。だが、これは何か違う、と思い始めたそうです。次に始めたのが、「悲しかったこと」を綴るノート。そして、最終的に行き着いたのが「ありがたかったこと」ノート。これは、日々どんな小さなことでも「ありがたい」と思ったことを一行、書いていくものだそうです。このノートをつけ始めてから、立ち直ることが出来るようになった、と思ったそうです。


五木さんが提唱するノートは、まるで 岡田斗司夫さんの「レコーディング」ダイエットのようだな、と思いました。孤独や「自分独りだけがこうして悩んでいる」ということを客体化することで、深刻化せずに済む、といった効果があるのではないでしょうか。また、書くことで一種の感情のはけ口になるのではないでしょうか。

うつ病とは、気分障害の一種であり、抑うつ気分や不安・焦燥、精神活動の低下、食欲低下、不眠などを特徴とする精神疾患です。あまり生活に支障をきたさないような軽症例から、自殺企図など生命に関わるような重症例まで存在します。うつ病を反復する症例では、20年間の経過観察で自殺率が10%程度とされています。

生涯のうちにうつ病にかかる可能性については、近年の研究では15%程度と報告されています。日本で2002年に行われた1600人の一般人口に対する面接調査によれば、時点有病率2%、生涯有病率6.5%とされています。決して人ごとではないと思われます。

最近では、以下のような問題点も指摘されています。
北海道大研究チームの調査で、小学4年〜中学1年の一般児童・生徒738人に、鬱病と躁鬱病の有病率が計4.2%に上ったことが分かったそうです。医師が面接する大規模な疫学調査は国内初とのこと。

研究チームの伝田健三・北大大学院准教授は「有病率がこれほど高いとは驚きだ。これまで子供の鬱は見過ごされてきたが、自殺との関係も深く、対策を真剣に考えていく必要がある」としています。鬱病の低年齢化が進み、「鬱の時代」と表されたことがまるで体言化したかのようにも思われます。

DSM-IVの診断基準によれば、2つの主要症状が基本となります。それは「抑うつ気分」と「興味・喜びの喪失」です。この2つの主要症状のいずれかが、うつ病を診断するために必須の症状であるとされています。

「抑うつ気分」とは、気分の落ち込みや、何をしても晴れない嫌な気分や、空虚感・悲しさなどです。「興味・喜びの喪失」とは、以前まで楽しめていたことにも楽しみを見いだせず、感情が麻痺した状態です。

うつ病患者では、抑うつ感、不安、焦燥などのために自殺することを望んだり、実際に実行してしまうことがあります(希死念慮といいます)。抑うつ感などによる苦痛の強い場合、不安・焦燥の強い場合、極端に自己評価の低い場合、罪責感の強い場合、妄想の見られる場合などは自殺のリスクが高いと考えられるため、より注意が必要です。

五木さんの表した患者さんの状態である「マグマが溜まっている休火山のような状態」とはかなり異なっているかのように思えますが、実は鬱屈とした心には、今にも爆発しそうなエネルギーがあるのかもしれません。その暴発によって、自殺企図といったことへ向かってしまうこともあるのかもしれませんね。

「鬱の時代」をどう生きていくのか、鬱病を患う作家さんの言葉は非常に有益な指針となるのではないでしょうか。

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