鹿児島県曽於市にある吉井診療所の吉井三郎院長はこの元日で100歳を迎えた。1946年に開業以来、地域医療を担ってきた現役小児科医だ。昨年10月に心筋梗塞で倒れたが、回復。療養のため一時休診しているが、吉井さんは「ぼくを頼りにして来てくれる患者がいる限り、診療は続ける」と意気盛んだ。

吉井さんは、洋画家で、文化勲章受章者の故吉井淳二画伯の4歳下の実弟で、1908(明治41)年1月1日生まれ。父親の勧めで医師を目指し、38年に慈恵医大(東京)を卒業。民間病院や陸軍軍医を経て、現在地に内科・小児科医院を開業した。かかりつけの患者は親子3代にわたるという。

近くに住む長女の川野久美子さん(68)によると、10月に入院して以来、車椅子が離せなくなった。だが、診療所再開への気力は衰えないという。

吉井さんは「くよくよせず、体にいいものを食べることが長生きの秘訣」と話す。小児科医になった理由を「子どもが好きだから」と明快に答える一方「今の小児科医不足は心配です」とも。

ひ孫の康広君(小5)は「優しくて大好き。ひいおじいちゃんのそばにいると落ち着く」。吉井さんの笑顔は、100歳になっても子供を包み込む優しさにあふれている。
([100歳小児科医]意気盛ん「患者いる限り診療続ける」)


「老老介護」という言葉がありますが、これは家庭の事情などにより高齢者が高齢者の介護をせざるをえない状況のことで、日本のような高齢化社会ではみられやすいケースです。

さらに、これからも高齢化が進行していけば、「老老医療」なるものも生み出すのではないでしょうか。すなわち、高齢の医療スタッフが高齢者を診療する、という時代になりうるのではないか、と思われます。

特に、小児科や産婦人科などでは医師不足が叫ばれて久しい状態にあります。医師の数は年間約4000人ずつ増えているにもかかわらず、小児科医は減少傾向にあります。この背景としては、一言で言ってしまえば「激務だから」といったことが挙げられるでしょう。その具体例としては、以下のようなものがあげられます。
たとえばアメリカなどでは、小児も含めて救急患者はまず救急医が診療することになりますが、日本では数少ない小児科医もローテーションを組んで救急を担当しなくてはなりません。必然的に、夜勤勤務や当直が増えます。また、予防接種や子育て支援などの小児保健的な領域も、日本では小児科医に託されており、明らかに日本の小児科医にかかる負担が大きいと思われます。

さらに、小児科学会に登録している医師約1万8500人のうち、32%が女性であり、30歳以下に限れば40%近くを女性が占めており、他科に比べてかなり女性医師が多いことが分かります。そのため、結婚や育児で勤務を離れざるを得ない女性がでる、ということも言われています。そのため、今後は育児をしならがらも働ける環境作りが必要であると思われます。

また、人口10万人あたりの産科・産婦人科や小児科の医師数が、都道府県によって倍以上の開きがあることが、厚生労働省が公表した全国の医師数統計で分かっています。「出産難民」「小児科医不足」といった現象が社会問題化する背景に、医師数の深刻な地域格差があることが浮き彫りになっています。

こうした現実の中、100歳になっても第一線で働く意欲がある医師の存在、というのは頼もしいと思われます。こうした小児科医の努力や頑張りを診療報酬などにしっかりと反映した上で、このままでは崩壊しかねない小児科医療を、その体制・構造を含めてしっかりと見直す必要があると思われます。

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