以下は、ザ!世界仰天ニュースで扱われていた内容です。

1984年、埼玉県川口市にある裕福な家庭に雄一郎は生まれた。雄一郎は両親から愛され、何不自由ない暮らしの中で雄一郎は期待の長男としての人生を歩みだした。しかし、雄一郎は幼稚園の頃から普通の男の子とは少し違っていた。いつも女の子たちとおままごとで遊び、七五三の時には妹の振袖を見て「こっちが着たい」と言う。小学生になっても変わることはなく、友達も女の子ばかりだった。母が心配しだすも、父は取り合わなかった。しかし雄一郎はやんちゃになる気配など全くなかった。友達も『雄一郎くんは男の子』という意識をもっていなかった。

そんな雄一郎を両親は、小中高と一貫教育の男子校に、編入させたが、雄一郎の女のような仕草やしゃべり方のせいで、女みたいな男だとして学校中で冷やかされ孤立した。家に帰ってからも落ち込む雄一郎は、母に「男の子なんだから当たり前」だと叱られた。それでも雄一郎は、周りの男の子たちと自分は違うという意識をはっきりと持っていた。高校に入った雄一郎は男子たちの中に溶け込もうと最大限の努力をした。そんな姿を見て、次第に教師や友達も雄一郎を認めるようになっていった。不思議な女の子的存在として生きてきて6年。成績はトップクラス。学校は唯一、心が休まる場所だった。詰襟の制服を着なくても学校も特例で認めていた。

しかし、家ではそんな雄一郎の行動の全てがもめ事になった。けれど「女」としておしゃれをして綺麗になりたいという欲求がたまり、雄一郎は遂に家族に隠れて憧れだった女ものの洋服を身につけるようになった。そんなある日、女性の格好をして街をうろつく雄一郎の行動を知った両親から、厳しい否定の言葉が浴びせられた。耐えられなくなった雄一郎は飛び出し、祖母の家に逃げ込む。大好きな祖母は唯一、雄一郎の悩みを黙って受け止めてくれた。

そんな時、衝撃的なドラマを見た。『3年B組、金八先生』そこで上戸彩が心と体の性別が一致しない性同一性障害の中学生を演じていた。性同一性障害とは…肉体は完全な男または女であるが、人格的にはそれとは別の性に属している状態を言う。

でも自分は病気じゃない。障害なんかじゃないと、受け入れなかった。雄一郎は自分を認めてくれた男子校を卒業。有名大学へ進学することになった。

2002年4月雄一郎は有名大学へ進学。共学の大学生活に大きな期待を持ち雄一郎は精一杯の格好をして大学の門をくぐった。自分は女子大生、周りもそう見ている。しかし、すぐに大きな問題が起きた。クラス点呼の時、高校の頃はみんなが認めていたので、当たり前のように手を挙げたが、クラス中の好奇の視線が突き刺さる。そして身体測定でも、テストの時にも、そして男女を問わないはずのアルバイト先でも。雄一郎はひどい屈辱を感じた。最初は性別を隠して仲良くなった女友達にも、あとで、自分は男だが中身は女だとカミングアウトしたが、高校の時のようにはいかず、入学以来仲良くしていた友人たちは皆離れていってしまった。

雄一郎は大学へ行くのが怖くなり、家に引きこもるようになった。両親との関係も最悪なものになり、完全に追い詰められた気分だった。学校にもバイトにも行かない息子を両親は責めた。雄一郎は完全に追い詰められた。

2003年7月、大学2年の夏休み、20歳になる直前の雄一郎は人生を一変させる衝撃のニュースをテレビで目にする。それは、性同一性障害特例法が可決される見通しとなり、この法案により、性同一性障害者のうち特定の条件を満たすものに対して、戸籍上の性別を変更できるというものだった。雄一郎は急いでその法律について詳しく調べた。

そこには専門的な知識を有する医師2名以上によって「性同一性障害」の診断を確定された上でいくつかの条件を満たし家庭裁判所の審判によって許可を得られれば、性別の変更ができるとあった。雄一郎は自分の切羽詰まった人生を変えるために身体を女に変え、戸籍の性別を女に変えることを決意した。

2003年7月15日、20歳の誕生日に雄一郎は今入っている戸籍から自分を抜き、大学に休学届を提出し、家を出た。自分と同じように悩んでいる人を探してみると、世間では「ニューハーフ」と呼ばれる人たちがみつかった。抵抗はあったが、相談するしかなかった。どうやって生きていけばいいのか?未来の人生は開けているのか?誰にも相談できなかったことを山ほどメールで質問した。そして初めて自分をすべて理解してくれる人に出会えた。

その人は新宿・歌舞伎町にいた。怖かった…足がすくむ。夜の仕事に抵抗はあった。でもそこしか生きる道がないなら、そこしか自分を認めてくれないなら仕方ない…。店のママはなんでも相談にのってくれた。そして全てを理解してくれた。そこには自分と同じ悩みを持つ仲間たちもたくさんいた。先輩に色々教えてもらい、雄一郎は法的に「女性」になるための、性転換手術を受けるステップを歩みだした。

まず、精神科での診察を受け、次にホルモン治療へ進む。そして手術しても生活面で支障がない場合に限って性別適合手術を受けることができる。雄一郎は精神科医のもとを訪ね、診察を受けた。2名の医師による診察が必要だった。そして女性として実生活を送ることができるのか、詳細に調べられる。精神科の診察を通過すると、ようやく女性ホルモンの投与を受けることができる。

しかし、ホルモン療法にはさまざまな副作用があった。女性ホルモンを投与し始めると、一生、更年期障害と闘わなければならなくなる。さらに血栓症や肝機能障害、免疫力低下、心不全、糖代謝の異常など様々なリスクを負う可能性まである。

2年間のホルモン療法を終え、ようやく雄一郎は性別適合手術を受けることができる。タイでは、海外から年間150万人の希望者を受け入れている。中でも性転換手術の技術は世界でもっとも高いといわれている。雄一郎もタイで受けることにした。世界中から希望者が殺到する中、1年後の予約がようやく取れた。

親からもらった身体。それを勝手に何も知らせず変えようとしている。心が痛んだ。お店のママからは、万が一の時のためにも出発前には絶対に親に連絡しなさいと言われた。でも性転換するために親と縁を切ったのだ。連絡できるはずもなかった。雄一郎はタイへ旅立つ前に両親にあてた遺書を書いた。今まで困らせてきたことへの謝罪、自分が小さい頃から女だと思ってきたこと、手術が失敗して死んだとしても後悔はしていないということ。

2006年7月手術を受けるためタイ・プーケット島を訪れた。世界中から手術を希望する人たちが殺到していた。中でも、プーケット・インターナショナル病院のサングアン医師は、その技術の高さで手術の予約が1年先まで空いていないという。手術を前に、「手術によって万が一、死んだとしてもかまいません」 と書かれている書類に署名する必要があった。雄一郎は躊躇なくサインした。

7月19日、手術決行の日が来た。結果は成功、2週間後には包帯が取れようやく女の身体を手に入れた。雄一郎は2年ぶりに家族のもとへ電話した。電話に出た母は雄一郎の全てを受け入れ、家に帰ってくるように言った。そして、雄一郎を病気で産んでしまったことを謝った。ようやく母と心が通い合えた気がした。雄一郎は裁判所で戸籍変更を認められ、遂に公的にも女性に生まれ変わることができた。本名も「有里」に改名し、2007年の4月大学へ復学して、今度は女子大生として学生生活を始めた。


性同一性障害とは、生物学的性と性意識(gender)についての自己認識が一致していないことによる障害を指します。古典的な性分化異常の概念とは異なり、染色体・性腺・性器に矛盾はないですが、心と体の性別が解離している状態です。

特徴としては、
?反対の性になりたいという欲求や自分の性が反対であるという主張を強く持続的に述べる。
?反対の性の服装を身につけたいと主張したり、実際にしたりする。
?自分の性に伴う性別役割に不適切感や違和感を覚える。
といったことがあります。

こうした感覚は、上記のように幼少の頃から自覚されているケースが多いようです。ですが、医療機関を訪れるのは思春期以降が多いです。診断される時期の多くが未成年であるので、慎重な対応が望まれます。

小児の場合、男の子では自分の性器を嫌悪し、なかった方がよかったと主張したり、女の子では座って排尿するのを拒絶したり、二次性徴を迎えることを嫌悪したりします。

反対の性の典型的な遊びや友達を好むため、年齢相応の同性との仲間関係を発達させることができないといったことがあります。孤立し、いじめや登校拒否などの原因となってしまうこともあります。上記のケースでは、学校の同級生たちの理解があり、その点は救いになっていたように思います。

基本的には生物学的性に自己認知を合わせたいという希望がないため、いかに自己認知の性に生物学的な性を合わせていくかが治療の基本となります。治療法としては、以下のようなものがあります。
治療としては生物学的性を性意識に近づけるか、苦悩を減弱させるかにあります。前者に対してはホルモン療法や性転換手術、後者には精神療法が主体となります。

FTM(female to male:女性から男性へ)の場合、男性ホルモン製剤であるエナルモンデポーを1回250mg、4週ごとに筋注します。MTF(male to female:男性から女性へ)の場合、卵胞ホルモン製剤であるペラニンデポーを1回10mg、2〜3週ごとに筋注します。上記のように副作用がみられることもあります。

男性から女性への性転換術では陰茎切断術、精巣摘出術、造腟術、豊胸術、喉頭軟骨形成術、脱毛術などが行われます。女性から男性への性転換術では子宮、卵管、卵巣の摘出術、陰茎再建術、乳房切断術などが行われます。

ドラマや報道により、障害の存在は認知されているようですが、それを社会が受容しているのかどうかというのは、また別の問題であると思います。性別の問題も、ひとつの個性として認識されるように理解が深まっていけば、と思われます。

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