1980年代から2000年代前半にかけて活躍した女優の高樹澪が、12月29日に放送されたバラエティ番組「魔女たちの22時 女たちの逆襲スペシャル!!」で6年ぶりに芸能界復帰した。休業の原因となった顔の右側がけいれんする病気も治り、今後は活動を再開していく予定だ。

同番組では「顔面崩壊で突然消息不明…あの超有名女優が今夜6年ぶりに復帰」として、病気との闘いに費やした6年間を再現ドラマで紹介。2003年のある日、突然顔がけいれんする病に冒され、病院で診察を受けたところ、医師から頭蓋骨を開ける大手術を行う必要があると告げられた(※番組の中では「脳の中にある顔面の神経に血管が異常に巻き付いてしまう病気」と説明)。

しかし、命の危険もある手術を受けるか、このまま顔のけいれんに悩まされながら生きて行くかの決断がなかなかできず、所属事務所には一言「辞めます」とだけ告げ音信不通の状態に。これを機に、芸能界の表舞台から姿を消してしまった。  

その後、実家に身を寄せながら悩む日々だったものの、最終的には手術を受けることを決意。5時間に及ぶ大手術だったが、無事に病気との闘いに勝ち、このたびの芸能界復帰となった。ちなみに、一方的に「辞めます」と告げたにも関わらず、所属事務所は6年間にわたって在籍扱いにしていたほか、事務所社長は何度も返事の当てのない手紙を実家に送り続けていたという。こうした事務所の「待つ姿勢」が、高樹澪の芸能界復帰を気持ちの部分でも後押ししたそうだ。

高樹澪は1959年12月31日生まれの49歳。子役として幼少時代から活動後、OLを経て1981年に映画「モーニング・ムーンは粗雑に」で主演デビュー。同時に同作で音楽監督を務めたサザンオールスターズの桑田佳祐作詞・作曲の劇中歌「恋の女のストーリー」で歌手デビューも果たした。その後、「金曜ミステリー劇場」(TBS系)の主題歌「ダンスはうまく踊れない」(※石川セリの同名曲のカバー)が80万枚、同曲を収録したアルバム「ナーダ」も40万枚を超えるヒットを記録している。

女優としては「スチュワーデス物語」など連続ドラマや単発ドラマ、映画に多数出演したほか、1996年に放送された「ウルトラマンティガ」(TBS系)ではシリーズ初の女性隊長イルマ・メグミ役で出演。バラエティ番組にも多く出演し、「志村けんのだいじょうぶだぁ」などで活躍した。
(女優の高樹澪が6年ぶり芸能界復帰、頭蓋骨を開く手術から立ち直る。)

片側顔面痙攣とは


片側顔面痙攣とは、片側の顔面筋にけいれんを来す病態を指します。中高年女性に多く、眼輪筋(目の周囲の筋肉)に初発し、次第に他の同側顔面筋へ拡がる例が多いです。

随意運動(筋肉を自ら動かそうとしたとき)や疲労で増強し、睡眠中も持続します。左にやや多く、時に両側性となります。しばしば患側顔面の筋力低下を伴います。

眼輪筋や口輪筋(口の周囲の筋肉)など一側の顔面筋に反復して起こる間代性(間をおいて繰りかえす)、時に強直性(硬くつっぱる)の痙攣は、多くの場合、血管彎曲部による顔面神経根部の圧迫が原因と考えられています。ほかにも、動脈瘤や腫瘍などのケースもあり、詳しい検査をすることも必要です。

片側顔面痙攣の治療


片側顔面痙攣の治療としては、以下のようなものがあります。
ボツリヌス毒素の筋肉内注射で、対症的に治療することがあります。末梢の神経筋接合部における神経終末内でのアセチルコリン放出抑制により、神経筋伝達を阻害し、筋弛緩作用を示します。

しかしながら、神経筋伝達を阻害された神経は、軸索側部からの神経枝の新生により数ヶ月後には再開通し、筋弛緩作用は消えます。そのため、完全に治るという治療法ではありません。

その一方で、根治術希望例、筋力低下進行例では「顔面神経減圧術」を行います。高樹さんのケースでも、この手術が行われていたようです。

顔面神経減圧術後では、頭下開頭を行い、圧迫血管と周囲のくも膜を十分剥離して移動、固定(接着材、吊り上げ)させたり、根部との間に人工物を挿入したりして顔面神経根部を減圧します。治癒率はおよそ95%であるといわれています。

手術に踏み切るのは、非常に勇気の要ることであったと思われます。まずはゆうくりと静養なさって、復帰される日をお待ちしたいと思われます。

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