7月に特発性両側性感音難聴による休養から舞台復帰した歌舞伎俳優、中村勘三郎(56)が29日、都内で行われた11月からの歌舞伎公演「平成中村座」の製作発表に出席した。復帰後初めての会見だが、ジョークを交えた勘三郎節は健在。療養中には歌手の桑田佳祐(55)から激励の手紙をもらったことを明かし、「本当に力をいただいた」と感謝した。

「桑田君から直筆の手紙をもらって、うれしかった」
先月23日に長野・松本公演で7カ月ぶりに舞台復帰。会見に出席するのは昨年10月に大阪で行って以来10カ月ぶりだ。報道陣から「闘病中、心の支えになったことは?」と質問されると、意外な人物の名前を挙げた。

桑田と直接会ったことはないが、車に桑田のCDを常備するほどの大ファン。病に伏した昨年末には、NHK紅白歌合戦で初期食道がんから復帰した桑田の姿に「元気をもらった」という。そのことを関係者を通じて知った桑田も、ラジオ番組で「今、会いたいのは勘三郎さん」と発言するなど、お互いにファンであることを公言し認め合う仲だった。

手紙が自宅に届いたのは退院後の3月初め。内容について多くは語らなかったが、食道がんを克服した桑田から闘病に苦しむ勘三郎を励ますメッセージが送られたことは想像に難くない。

「僕のファンということと、『不肖の同級生より』と書いてあった。本当に力をいただいた」。普段は手紙を書かない勘三郎もペンを取ったといい、「『誇れる同級生へ』って書きました」とうれしそうに明かした。

桑田以外の「心の支え」として、タレントの間寛平(62)の世界一周「アースマラソン」完走、世界一に輝いた女子サッカー日本代表のなでしこジャパンを挙げて、終始ゴキゲンの表情。「平成中村座」の主要キャスト全員の血液型がO型であることから「これが本当の“O(大)歌舞伎”」と、ジョークも飛ばしていた。

平成中村座は東京・墨田公園内の仮設劇場で11月から上演。その前に9月2日から大阪・新歌舞伎座での1カ月公演があるが、「ロングラン公演に体がついていくようにして、一生懸命いいものをつくっていきたい」と力強く誓っていた。
(勘三郎、桑田から手紙「本当に力いただいた」)

特発性両側性感音難聴とは


難聴は大きく「伝音難聴」と「感音難聴」および両者の合併した「混合難聴」に分類されます。

「伝音難聴」は、外耳、中耳のいずれか、または両方がおかされ、音または振動の干渉によって起こる聴覚の障害のことをいいます。「感音難聴」は、内耳性難聴(迷路性難聴)と後迷路性難聴に分かれます。内耳性難聴は内耳有毛細胞の障害によるもので、後迷路性難聴は蝸牛神経より皮質聴覚野までの聴覚伝導路の障害によって起こります。

特発性両側性感音難聴とは、進行する両側性の感音難聴のうち原因不明のものを指します。1993年に厚生省研究班を中心に行った調査では、特発性進行性難聴の全国受療者数は推定、年間700人で、人口100万人対で5.6人であったとされています。

聴力型としては左右対称性の高音漸傾型(低い音に比べて、高い音の聴力が低下している)が多くみられます。通常、難聴は少しずつ進行しますが、時に一側の聴力が急激に落ちたり、段階的に落ちることがあります。

進行すると高度感音難聴あるいは完全に聞こえない状態となっていまします。若年型発症と成人型発症との2型に分けられます。

特発性進行性感音難聴は遺伝性難聴との関連が注目されており、何らかの遺伝子異常が関与している可能性があります。しかし、その発症に関与する遺伝子座などの詳細は明らかではありません。

数年間にわたって難聴がほとんど進行しない症例もありますが、一般には上記治療を行っても感音難聴が徐々に進行すると考えられます。平均すると1年間に約1dB程度、難聴が進行すると言われています。時に難聴が急速に進行することもあります。

特発性両側性感音難聴の治療


特発性両側性感音難聴の治療としては、以下のようなものがあります。
現時点では特発性進行性感音難聴の治療には他の感音難聴と同様に血管拡張剤、代謝賦活剤、ビタミン製剤などが用いられています。これらの治療薬も難聴の治療を目的とするよりも、進行防止を期待して用いられています。

特発性両側性感音難聴では難聴悪化時は突発性難聴に準じて治療されます。慢性期の治療方針は定まっておらず、中にはステロイド依存性のものもあります。

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