1)「華岡青州の妻」の中で、ヘルシンキ宣言違反である点について述べよ。
まず、ヘルシンキ宣言の序言によれば、「8.医学研究は、すべての人間に対する尊敬を深め、その健康及び権利を擁護する倫理基準に従わなければならない。弱い立場にあり、特別な保護を必要とする研究対象集団もある。経済的及び医学的に不利な立場の人々が有する特別のニーズを認識する必要がある。また、自ら同意することができないまたは拒否することができない人々、強制下で同意を求められるおそれのある人々、研究からは個人的に利益を得られない人々及びその研究が自分のケアと結びついている人々に対しても、特別な注意が必要である。」とある。この点に関して、加恵は家庭内において姑などの関係に悩んでおり、夫の愛情を得たいがため、もしくは嫁と姑の一家の主権をかけての争いに勝つため、実験台に名乗り出たとも考えられる。故に、上記宣言の"自ら同意することができないまたは拒否することができない人々、強制下で同意を求められるおそれのある人々"という部分に抵触するかもしれない、と考えられる。また、実験台の話が出たとき嫁と姑は争って実験台になることを申し出ている。この状況下で、果たして加恵は拒否することが出来たのか、はなはだ疑問である。
また、B.すべての医学研究のための基本原則によれば、「16.ヒトを対象とするすべての医学研究プロジェクトは、被験者または第三者に対する予想し得る危険及び負担を、予見可能な利益と比較する注意深い評価が事前に行われていなければならない。このことは医学研究における健康なボランティアの参加を排除しない。すべての研究計画は一般に公開されていなければならない。」とある。この点に関して、果たして"被験者または第三者に対する予想し得る危険及び負担を、予見可能な利益と比較する注意深い評価が事前に行われて"いたのであろうか、と疑問に思われる。さらに、「17.医師は、内在する危険が十分に評価され、しかもその危険を適切に管理できることが確信できない場合には、ヒトを対象とする医学研究に従事することを控えるべきである。医師は、利益よりも潜在する危険が高いと判断される場合、または有効かつ利益のある結果の決定的証拠が得られた場合には、すべての実験を中止しなければならない。」とある。果たして、"危険を適切に管理できることが確信できていた"と言えるのだろうか。こうした点に関して、第三者の意見や評価が無かったということで、麻酔薬の毒性を量る「親試実験」を繰り返したということが、問題があるのではないかと思われる。
2)「華岡青州の妻」の悲劇が繰り返されないためには、どうすべきか記せ。
上記問題点である"強制下で同意を求めた可能性"について述べる。これに関しては、ヘルシンキ宣言中にも記されているが、倫理審査委員会(研究者、スポンサー及びそれ以外の不適当な影響を及ぼすすべてのものから独立していることを要する) による監査が必要であると考えられる。そして、医師が患者に自由意志によるインフォームド・コンセントを、しっかりととっているのか、モニターすることが重要であると考えられる。もちろん、多くの治験患者すべてに関して、インフォームド・コンセントがどの程度なされているのか把握するのは難しいことと思われる。だが、その様相を把握することが、患者の置かれた状況や半ば強制的に治験へ参加させられたのか、などを理解するのに必要であると思われる。なぜなら、そうしたことが起こっている場合には、その情報をしっかりと治験を行う医師にフィードバックし、改善を促す必要があると考えられるからである。
そこで、以下のような方法による改善を考えた。途中で治験中止を求める患者が出た場合、その患者についてどのような理由で中止を求めたのか、また、医師の説明はどのようであったのかなどを書面によるアンケート、できればしっかりと委員会の人間が対面することで聞き取り調査を行うという方法である。そこで「今後も(担当の)先生にお世話になるとなれば、拒否することはできなかった…」といった、半ば強制的に治験に参加させられたのだという意見がきかれた場合、その情報をその医師にフィードバックして改善を願う、というものである。これは、『治験を中止した患者=治験に不満をもっている』のではないか、という考えに基づくものである。参加している最中に無作為にアンケートするよりは、より不満や改善すべき点が引き出せるのではないか、と思う。もちろん、今後も治験を勧められた担当医師に診療を求める患者に関しては、医師への不満は出しにくいのではないか、とも考えられるが、しっかりと匿名性を持たせる(患者氏名は、絶対に医師へ明かさない。医師へは「受け持ち患者の一人が…」として説明する)などの前提を話した上なら、話しやすいのではないか、と考えられる。
まず、ヘルシンキ宣言の序言によれば、「8.医学研究は、すべての人間に対する尊敬を深め、その健康及び権利を擁護する倫理基準に従わなければならない。弱い立場にあり、特別な保護を必要とする研究対象集団もある。経済的及び医学的に不利な立場の人々が有する特別のニーズを認識する必要がある。また、自ら同意することができないまたは拒否することができない人々、強制下で同意を求められるおそれのある人々、研究からは個人的に利益を得られない人々及びその研究が自分のケアと結びついている人々に対しても、特別な注意が必要である。」とある。この点に関して、加恵は家庭内において姑などの関係に悩んでおり、夫の愛情を得たいがため、もしくは嫁と姑の一家の主権をかけての争いに勝つため、実験台に名乗り出たとも考えられる。故に、上記宣言の"自ら同意することができないまたは拒否することができない人々、強制下で同意を求められるおそれのある人々"という部分に抵触するかもしれない、と考えられる。また、実験台の話が出たとき嫁と姑は争って実験台になることを申し出ている。この状況下で、果たして加恵は拒否することが出来たのか、はなはだ疑問である。
また、B.すべての医学研究のための基本原則によれば、「16.ヒトを対象とするすべての医学研究プロジェクトは、被験者または第三者に対する予想し得る危険及び負担を、予見可能な利益と比較する注意深い評価が事前に行われていなければならない。このことは医学研究における健康なボランティアの参加を排除しない。すべての研究計画は一般に公開されていなければならない。」とある。この点に関して、果たして"被験者または第三者に対する予想し得る危険及び負担を、予見可能な利益と比較する注意深い評価が事前に行われて"いたのであろうか、と疑問に思われる。さらに、「17.医師は、内在する危険が十分に評価され、しかもその危険を適切に管理できることが確信できない場合には、ヒトを対象とする医学研究に従事することを控えるべきである。医師は、利益よりも潜在する危険が高いと判断される場合、または有効かつ利益のある結果の決定的証拠が得られた場合には、すべての実験を中止しなければならない。」とある。果たして、"危険を適切に管理できることが確信できていた"と言えるのだろうか。こうした点に関して、第三者の意見や評価が無かったということで、麻酔薬の毒性を量る「親試実験」を繰り返したということが、問題があるのではないかと思われる。
2)「華岡青州の妻」の悲劇が繰り返されないためには、どうすべきか記せ。
上記問題点である"強制下で同意を求めた可能性"について述べる。これに関しては、ヘルシンキ宣言中にも記されているが、倫理審査委員会(研究者、スポンサー及びそれ以外の不適当な影響を及ぼすすべてのものから独立していることを要する) による監査が必要であると考えられる。そして、医師が患者に自由意志によるインフォームド・コンセントを、しっかりととっているのか、モニターすることが重要であると考えられる。もちろん、多くの治験患者すべてに関して、インフォームド・コンセントがどの程度なされているのか把握するのは難しいことと思われる。だが、その様相を把握することが、患者の置かれた状況や半ば強制的に治験へ参加させられたのか、などを理解するのに必要であると思われる。なぜなら、そうしたことが起こっている場合には、その情報をしっかりと治験を行う医師にフィードバックし、改善を促す必要があると考えられるからである。
そこで、以下のような方法による改善を考えた。途中で治験中止を求める患者が出た場合、その患者についてどのような理由で中止を求めたのか、また、医師の説明はどのようであったのかなどを書面によるアンケート、できればしっかりと委員会の人間が対面することで聞き取り調査を行うという方法である。そこで「今後も(担当の)先生にお世話になるとなれば、拒否することはできなかった…」といった、半ば強制的に治験に参加させられたのだという意見がきかれた場合、その情報をその医師にフィードバックして改善を願う、というものである。これは、『治験を中止した患者=治験に不満をもっている』のではないか、という考えに基づくものである。参加している最中に無作為にアンケートするよりは、より不満や改善すべき点が引き出せるのではないか、と思う。もちろん、今後も治験を勧められた担当医師に診療を求める患者に関しては、医師への不満は出しにくいのではないか、とも考えられるが、しっかりと匿名性を持たせる(患者氏名は、絶対に医師へ明かさない。医師へは「受け持ち患者の一人が…」として説明する)などの前提を話した上なら、話しやすいのではないか、と考えられる。