ザ!世界仰天ニュースで取り上げられていた内容です。

2004年9月、静岡県立袋井商業高等学校では2学期に入り、秋の大会に向け生徒達はクラブ活動に励んでいた。現役を卒業し後輩の指導にあたっている3年生の水泳部員、阿部真也君には生徒会長という別の顔があった。そんな阿部君を中心とした高校生グループが、ある同い年の一人の女の子を救うため募金活動を行うことに。

その女の子とは同じ袋井市に住む村木理恵さん。原発性硬化性胆管炎という肝臓の病気にかかり、移植手術を受けないと余命半年という宣告を受けていた。実は理恵さん、移植手術は初めてではなかった。2歳の時、風邪のウィルスが原因で慢性活動生肝炎という肝臓の病気にかかり、入退院を繰り返す生活。そして薬による治療を続けてきたが、中学2年生の頃、肝硬変になってしまい余命3ヵ月と宣告された。助かる道は肝臓の移植手術。両親の肝臓を検査し、より理恵さんに適合していた母親の肝臓を移植する事になった。

そして2000年8月、母親の肝臓の60%を移植する手術は、12時間にも及び無事成功となった。術後良好の状態が続き初めての修学旅行にも行けるようになった理恵さんだったが、高校3年生になったとき、顔に再び黄疸症状が現れ、さらに腹痛や下血をする状態になってしまった。

病名は原発生硬化性胆管炎。脳死ドナーからの肝臓の完全移植をしなければ彼女の未来は無い。問題は、日本ではドナー提供自体が少なく間に合わない為、年間3000〜4000件の肝臓提供があるアメリカで提供してもらえる肝臓を確保することができれば…という状態。選択肢はないのだが、それには約6000万円という大金が必要となるのであった。

しかし、思うようには集まらず目標の6000万円にはとても程遠い。そこで、募金の輪を広げるため理恵さんの姉が卒業した、袋井商業高校にも募金のお願いをしに行く。すると、生徒会長の阿部君らが中心となって、校内での募金活動を始める。

しかし、お金は集まらず、阿部君らは打開策を考える。そこで、思いついたのが袋井商業高校の水泳部で毎年行われるイベント。

それは、卒業する水泳部3年生に、後輩の水泳部1・2年生が感謝の意味を込めてシンクロナイズドスイミングを披露するイベントだった。それを、一般公開しマスコミに取り上げてもらえば、募金活動の事を広く知ってもらえると思いついたのだ。2週間後、理恵さんと両親は袋井商業高校のプールに招待される。すると、プールサイドには300名の生徒達が拍手喝采で理恵さんを迎え入れ、さらには新聞記者も取材に駆けつけていた。そして、驚きを隠せない理恵さんの目の前で水泳部によるシンクロナイズドスイミングが始まる。

翌日の新聞に掲載されると、全国から続々と寄付金が届き始めた。そして、わずか一か月半後には目標額の6000万円に到達。2004年12月、理恵さんはアメリカへと向かう。そして40日後、ドナーが見つかり肝臓移植の手術を受け、無事に成功。余命3ヶ月といわれた少女は多くの人々の善意のおかげで、肝臓移植手術を受け、病を克服した。


慢性肝炎とは、臨床的には6ヶ月以上の肝機能検査の異常とウィルス感染が持続している病態を指します。組織学的には、活動性と非活動性に区分されます。

『理恵さんは2歳の時、風邪のウィルスが原因で慢性活動生肝炎という肝臓の病気にかかった』とありますので、これは恐らく慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)のことではないかと思われます。

慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)は、肝脾腫、リンパ節腫大、高γグロブリン血症、肝炎、持続する発熱などが主な症状で、致命率が高い疾患です。EBウイルス(ほとんど幼少期に感染し、伝染性単核球症と診断されます。その後、潜伏感染となり、ほとんど何の症状も起こさないウイルスです)感染の活動性が数ヶ月以上わたって持続し、EBウイルス感染細胞あるいは、EBウイルスゲノム量が増加している状態となります。

慢性活動性肝炎となる可能性もあり、その場合は肝硬変、肝不全に進行し、死因となることが多いそうです。この際は、生体肝移植によって命を救われましたが、原発生硬化性胆管炎が起こってしまったようです。

原発生硬化性胆管炎は、胆管炎の特殊型で,胆管壁の炎症により高度の結合組織増殖が出現し、次第に胆管壁が硬化し、内腔が狭まくなってしまう、まれな疾患です。原因は不明ですが、潰瘍性大腸炎を合併する場合が多く(理恵さんの場合は発症していなかったようです)、自己免疫疾患とも考えられています。

黄疸が次第に進行し、無痛、無熱で胆管癌に似た症状を示します。ついには胆汁性肝硬変、門脈圧亢進症状(食道(胃)静脈瘤、腹壁静脈怒張、痔核など)、肝不全などを呈してしまいます。

残された手だては、渡米しての完全肝移植しかなかったようです。そのために、高校生たちが東奔西走し、何とか理恵さんの命を救ったという姿は、非常に感動的でした。「理恵さんがここにいてくれることが嬉しい」という阿部真也くんの一言には、一点の曇りが無く、どこまでも真っ直ぐな心に、思わず息を呑んで感嘆してしまいました。

フィクションなんかでは覚えることのできない感動が、そこにはありました。

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