以下は、ザ!世界仰天ニュースで取り上げられた内容です。
イギリス・チェシャー州モバーレイに住む兄妹は、対照的な2人だった。兄サイモンは成績優秀でトップレベルの進学校に合格、父親から大事にされていた。だが、妹へレンは落ちこぼれだった。同じ血が流れる兄妹なのに、こうも違うかとヘレンは悩んでいた。妹はどんな時も、優秀な兄の影の存在でしかなかった。兄のことが羨ましく、また妬ましくもあった。
月日は経ち、兄、サイモンは、大学を卒業後、人材派遣会社を経営。事業は成功し、高収入を手にするようになった。一方、妹のヘレンは教師を志すが、夢かなわず、挫折続きの人生だった。43歳になったサイモンは、最愛の妻と3人の子供にめぐまれ、幸せな生活を送っていた。
だが最近は、極度の疲労と足にある原因不明のアザに悩まされていた。そして2004年7月、長女の6歳の誕生日、サイモンは鼻血が止まらなくなった。翌日、病院での検査の結果、告げられた病名は急性前骨髄球性白血病だった。しかもサイモンの骨髄は、とても珍しい型と判明。骨髄移植をするには、白血球の型が一致するドナーが必要。型が一致する確率は、数万分の1と、とても低いといわれている。
だが、兄弟なら4分の1の確率で一致するという。そこでサイモンは、近くに住む母と妹へレンに白血病である事を告白。妹へレンは「兄のためなら」と検査を受け、結果、妹へレンの骨髄はサイモンとマッチした。サイモンはホッと胸を撫で下ろした。妹へレンも「私がお兄ちゃんの命の保険ね」と移植に前向きだった。
ヘレンと母は、毎日のように病室を訪れ、サイモンを励ました。皮肉なことに、病気がきっかけで、幼いころからのわだかまりは解け、兄弟の絆は強くなっていった。その後、サイモンは化学治療の効果で5ヵ月後に退院。再発の危険性はあったが、万が一再発しても妹へレンがいるという安心感が、サイモンを支えていた。しかし、2006年11月、サイモンは白血病が再発。今回は直ぐにでも移植が必要で、サイモンは妹へレンの元を訪れた。ところが妹へレンが、移植を拒否。
ヘレンが突然骨髄移植を拒否されたのは、実は以下のような理由からだった。
サイモンが白血病で倒れ、ドナーになれるのが自分だけと知ったとき、ヘレンは劣等感にまみれた中で、初めて万能のサイモンに対して優越感を味わっていた。勿論、この時はドナーとなってサイモンを救う気持ちだった。
だが、サイモンは、化学療法で肉体的にも精神的にも苦痛で、人と喋る事も辛くなってきた。そんなある日、サイモンに頼まれて妻ジャクリーンが、妹と母に対して「サイモンへの面会時間を減らしてほしい」と提案した。しかし、元々妻ジャクリーンとソリが会わなかった母は、激怒。それでも、何とか力になりたいとヘレンは、兄を見舞い続けた。
しかし、化学療法で苦痛に耐え、あまりの辛さに寡黙になっている兄の態度が、ヘレンには冷たく思えた。「ありがとう。でも、今はほっといてほしい」という言葉は、ヘレンにとって『兄は自分を必要としていない』と感じられた。サイモンにとっては気を使ったつもりだった(心配させまいと)が、ヘレンには伝わらなかった。結果、兄を心配する気持ちが次第に憎しみに変わっていった。やがてサイモンの病状は良くなり、自宅治療になると、ますます妻ジャクリーンと母親の関係はこじれ、家族はバラバラになってしまった。
そして、サイモンの白血病再発が、妹へレンにとって格好の復讐のチャンスとなった。そこでサイモンは、母に妹へレンの説得を頼んだ。すると母は、「ヘレンの体にも負担がかかるし、私からは頼めない」と言い、サイモンは背筋が凍る思いをした。それでもサイモンは、妹へレンの元へ何度も足を運んだが、妹へレンからの返事はなかった。サイモンは、妹へレンの気持ちが変わるまで化学療法に頼るしかなかった。そんな時、妻ジャクリーンが、妹へレンの元へ押しかけ、妹へレンに飛びかかってしまった。妹へレンは警察に電話。妻ジャクリーンは逮捕され拘束された。実の妹へレンから死の宣告を受けたサイモンは、母と妹へレンとは縁を切る事にした。
この兄妹喧嘩が、地元の新聞で報じられると、世界中から、サイモンのためにと、ドナー登録が相次いだ。タイムリミットの夏を迎えようとしていたころ遠く離れたアメリカで、サイモンのニュースを知ってドナー登録した人の中に適合者がいた。
そして7月、命の期限ぎりぎりで骨髄移植が行われた。手術は成功したかと思われたが、移植後わずか2週間で拒絶反応が起こってしまった。結果、サイモンは2007年8月22日、帰らぬ人となってしまった。
急性前骨髄性白血病とは、白血病の一種で、骨髄系の造血細胞が腫瘍(がん)化し、分化や成熟能を失う疾患です。染色体異常として、15番染色体と17番染色体の相互転座と呼ばれる現象が原因で起こると考えられています。
急性前骨髄性白血病の特徴としては、以下のようなものがあります。
イギリス・チェシャー州モバーレイに住む兄妹は、対照的な2人だった。兄サイモンは成績優秀でトップレベルの進学校に合格、父親から大事にされていた。だが、妹へレンは落ちこぼれだった。同じ血が流れる兄妹なのに、こうも違うかとヘレンは悩んでいた。妹はどんな時も、優秀な兄の影の存在でしかなかった。兄のことが羨ましく、また妬ましくもあった。
月日は経ち、兄、サイモンは、大学を卒業後、人材派遣会社を経営。事業は成功し、高収入を手にするようになった。一方、妹のヘレンは教師を志すが、夢かなわず、挫折続きの人生だった。43歳になったサイモンは、最愛の妻と3人の子供にめぐまれ、幸せな生活を送っていた。
だが最近は、極度の疲労と足にある原因不明のアザに悩まされていた。そして2004年7月、長女の6歳の誕生日、サイモンは鼻血が止まらなくなった。翌日、病院での検査の結果、告げられた病名は急性前骨髄球性白血病だった。しかもサイモンの骨髄は、とても珍しい型と判明。骨髄移植をするには、白血球の型が一致するドナーが必要。型が一致する確率は、数万分の1と、とても低いといわれている。
だが、兄弟なら4分の1の確率で一致するという。そこでサイモンは、近くに住む母と妹へレンに白血病である事を告白。妹へレンは「兄のためなら」と検査を受け、結果、妹へレンの骨髄はサイモンとマッチした。サイモンはホッと胸を撫で下ろした。妹へレンも「私がお兄ちゃんの命の保険ね」と移植に前向きだった。
ヘレンと母は、毎日のように病室を訪れ、サイモンを励ました。皮肉なことに、病気がきっかけで、幼いころからのわだかまりは解け、兄弟の絆は強くなっていった。その後、サイモンは化学治療の効果で5ヵ月後に退院。再発の危険性はあったが、万が一再発しても妹へレンがいるという安心感が、サイモンを支えていた。しかし、2006年11月、サイモンは白血病が再発。今回は直ぐにでも移植が必要で、サイモンは妹へレンの元を訪れた。ところが妹へレンが、移植を拒否。
ヘレンが突然骨髄移植を拒否されたのは、実は以下のような理由からだった。
サイモンが白血病で倒れ、ドナーになれるのが自分だけと知ったとき、ヘレンは劣等感にまみれた中で、初めて万能のサイモンに対して優越感を味わっていた。勿論、この時はドナーとなってサイモンを救う気持ちだった。
だが、サイモンは、化学療法で肉体的にも精神的にも苦痛で、人と喋る事も辛くなってきた。そんなある日、サイモンに頼まれて妻ジャクリーンが、妹と母に対して「サイモンへの面会時間を減らしてほしい」と提案した。しかし、元々妻ジャクリーンとソリが会わなかった母は、激怒。それでも、何とか力になりたいとヘレンは、兄を見舞い続けた。
しかし、化学療法で苦痛に耐え、あまりの辛さに寡黙になっている兄の態度が、ヘレンには冷たく思えた。「ありがとう。でも、今はほっといてほしい」という言葉は、ヘレンにとって『兄は自分を必要としていない』と感じられた。サイモンにとっては気を使ったつもりだった(心配させまいと)が、ヘレンには伝わらなかった。結果、兄を心配する気持ちが次第に憎しみに変わっていった。やがてサイモンの病状は良くなり、自宅治療になると、ますます妻ジャクリーンと母親の関係はこじれ、家族はバラバラになってしまった。
そして、サイモンの白血病再発が、妹へレンにとって格好の復讐のチャンスとなった。そこでサイモンは、母に妹へレンの説得を頼んだ。すると母は、「ヘレンの体にも負担がかかるし、私からは頼めない」と言い、サイモンは背筋が凍る思いをした。それでもサイモンは、妹へレンの元へ何度も足を運んだが、妹へレンからの返事はなかった。サイモンは、妹へレンの気持ちが変わるまで化学療法に頼るしかなかった。そんな時、妻ジャクリーンが、妹へレンの元へ押しかけ、妹へレンに飛びかかってしまった。妹へレンは警察に電話。妻ジャクリーンは逮捕され拘束された。実の妹へレンから死の宣告を受けたサイモンは、母と妹へレンとは縁を切る事にした。
この兄妹喧嘩が、地元の新聞で報じられると、世界中から、サイモンのためにと、ドナー登録が相次いだ。タイムリミットの夏を迎えようとしていたころ遠く離れたアメリカで、サイモンのニュースを知ってドナー登録した人の中に適合者がいた。
そして7月、命の期限ぎりぎりで骨髄移植が行われた。手術は成功したかと思われたが、移植後わずか2週間で拒絶反応が起こってしまった。結果、サイモンは2007年8月22日、帰らぬ人となってしまった。
急性前骨髄性白血病とは、白血病の一種で、骨髄系の造血細胞が腫瘍(がん)化し、分化や成熟能を失う疾患です。染色体異常として、15番染色体と17番染色体の相互転座と呼ばれる現象が原因で起こると考えられています。
急性前骨髄性白血病の特徴としては、以下のようなものがあります。
他の白血病と大きく異なり、白血病の中で最も進行が早く、発症するとわずか1週間で死に至ることもあります。ですが、この病は白血病の中では最も治りやすく、薬による治療で、その7割は完治すると言われています。
治療としては、診断確定後、多くの場合すぐに入院し、複数の抗がん剤を用いての化学療法(寛解導入療法)を行います。 寛解導入療法終了後、状態が落ち着けば地固め療法および強化療法・維持療法を行います。
急性前骨髄球性白血病では、ビタミンA製剤であるオールトランスレチノイン酸(ATRA)による分化誘導療法が用いられます。サイモンの場合も、最初はこの化学療法を行っていたと思われます。
結果、寛解に至って一度は仕事に復帰することができました。しかしながら、再発してしまっています。寛解とは、永続的一時的を問わず、病気による症状が好転または消失することを指します。つまり、一般的な意味で完治せずとも、臨床的に「問題ない程度」にまで状態がよくなることを指します。
白血病の場合は、検査で白血病細胞が検出されない状態を指しているわけです。特に、完全寛解状態という、骨髄中の白血病細胞が5%以下で、かつ末梢血・骨髄が正常化した状態をいうこともあります。故に、再発してしまうこともあります。その結果として、骨髄移植をするしかない状態に至ってしまいました。
骨髄移植とは、白血病や再生不良性貧血などの血液難病の患者に、提供者(ドナー)の正常な骨髄細胞を静脈内に注入して移植する治療のことです。白血球のHLA型が、ドナーと移植対象患者との間で適合しないと拒絶反応、GVHD(移植片対宿主病)が起きるため、骨髄移植はできません。HLA型が合うのは、同父母の兄弟姉妹間で25%、非血縁者間では数百〜数万分の1といわれています。今回のケースでは、HLA型は一致していても、移植後に拒絶反応が起こってしまい、亡くなってしまいました。
やはり近しい人がドナーの場合は、さまざまな関係性があるため、問題が起こる可能性がある、ということもあるわけですね。家族と仲が悪い人は、今の内に仲直りしておくほうが良いかもしれませんね。
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体温32℃で血液が固まってしまう病気−寒冷凝集素症
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治療としては、診断確定後、多くの場合すぐに入院し、複数の抗がん剤を用いての化学療法(寛解導入療法)を行います。 寛解導入療法終了後、状態が落ち着けば地固め療法および強化療法・維持療法を行います。
急性前骨髄球性白血病では、ビタミンA製剤であるオールトランスレチノイン酸(ATRA)による分化誘導療法が用いられます。サイモンの場合も、最初はこの化学療法を行っていたと思われます。
結果、寛解に至って一度は仕事に復帰することができました。しかしながら、再発してしまっています。寛解とは、永続的一時的を問わず、病気による症状が好転または消失することを指します。つまり、一般的な意味で完治せずとも、臨床的に「問題ない程度」にまで状態がよくなることを指します。
白血病の場合は、検査で白血病細胞が検出されない状態を指しているわけです。特に、完全寛解状態という、骨髄中の白血病細胞が5%以下で、かつ末梢血・骨髄が正常化した状態をいうこともあります。故に、再発してしまうこともあります。その結果として、骨髄移植をするしかない状態に至ってしまいました。
骨髄移植とは、白血病や再生不良性貧血などの血液難病の患者に、提供者(ドナー)の正常な骨髄細胞を静脈内に注入して移植する治療のことです。白血球のHLA型が、ドナーと移植対象患者との間で適合しないと拒絶反応、GVHD(移植片対宿主病)が起きるため、骨髄移植はできません。HLA型が合うのは、同父母の兄弟姉妹間で25%、非血縁者間では数百〜数万分の1といわれています。今回のケースでは、HLA型は一致していても、移植後に拒絶反応が起こってしまい、亡くなってしまいました。
やはり近しい人がドナーの場合は、さまざまな関係性があるため、問題が起こる可能性がある、ということもあるわけですね。家族と仲が悪い人は、今の内に仲直りしておくほうが良いかもしれませんね。
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