以下は、ザ!世界仰天ニュースで扱われていた内容です。

1990年、中国四川省に住む李艶(リエン)は、顔の右側が腫れている気がしたが痛みはなく放っておいた。しかし、9歳になったとき顔の左が小さく見えるようになり、日に日に顔の左右のバランスが崩れ始め、左の頬は水分を失い、生え際の髪は一部抜けてきていた。医師に相談し、病院で検査した結果、李艶は世界でも珍しい『進行性半側顔面萎縮症(進行性顔面半側萎縮症)』と診断された。

『進行性半側顔面萎縮症』はロンバーク病(パリー・ロンベルク症候群)とも呼ばれ、医学データが残る百年の間にも世界で1000例しかない極めて珍しい後天性の病気だった。顔の半分の骨、筋肉、皮膚がゆっくりと萎縮していき、頬の骨の成長が終わる20歳前後まで続く。顔面の神経も一緒に枯れるように縮むため痛みはない。原因は不明。治療することも進行を食い止めることも出来ない。医師には「命に危険が及ぶことはまずないといわれていますが、萎縮が完全に終わるまではなにもできません。成長が止まれば萎縮も終わります。そのときに整形外科の手段を考えましょう。しかし、精神的なショックで、命を絶った患者が少なからずいるのも事実です」と言われた。女の子にとってはつらい病気で失明の可能性も高かった。

骨と皮膚の萎縮はさらに進み、食事もうまく食べられなくなっていった。1999年、高校に入学した李艶の唇は吊り上げられるように鼻の方に曲がり、ほぼくっついた状態になってしまった。しゃべることも困難になり、学校では周囲との関わりを完全に拒否するようになっていた。両親に心配かけまいと、毎朝明るく出かけてはいたが、実はつらい日々だった。

心無い生徒からの陰湿ないじめは日に日に激しくなっていた。すべてに耐えて家に帰るのがつらい。もうこのまま死んでしまいたいとも思った。15歳で左目は失明。それでもなお、左側の萎縮は止まらない。高校生になると、毎朝一緒だった兄も社会人となり、一人での通学となった。長い髪で顔を隠し、学校ではただ目立たぬように過ごした。やがて勉強も本を読むのも、目に頼ることが辛くなり、高校は辞めてしまった。

心配した家族は環境を変えるため、畑も家も全て売り隣町に引越し、全財産をはたいて雑貨店を始めた。都会の生活が始まった。李艶もスカーフで顔を隠して店を手伝った。これも萎縮が止まるまでの辛抱。止まったら手術ができる。そして20歳。手術を受ける時がきた。みんなそう思っていたが…。医師に「萎縮は止まったと思ってていいでしょう。これが、進行性顔面萎縮症の特徴です。確かに外科治療は可能だと思うのですが、李艶さんの場合は予想以上に進行が悪化しています。手術にはかなりのリスクがあります。移植手術をした場合、筋肉や皮膚、それに血管が元通りになる保障はありません。今の状態では無理かと…」と告げられた。

治ると思って今まで耐えてきたのに・・・。絶望の中、艶は新聞のある記事に目を留めた。それは同じ中国に住む、除光を称えるものだった。彼女は一歳のとき火鉢に顔を突っ込み、顔面の左側に大やけどをした。皮膚の移植など苦痛の多い大手術を何度も繰り返したにもかかわらず、強い意志で、地元の名門、重慶医科大学に合格。自分のように苦しむ患者を助けられる医者になりたいというものだった。それに比べ、自分は…。高校も辞め、病気からも逃げ続けていた。自分をここまで育ててくれた家族に、これからも頼っていいものか…そして、世の中にはきっと自分のように差別されている人がいる。その人たちの役に立ちたい。李艶はその記事を見てそう思った。

李艶は、自分のように差別されている人の力になるため、弁護士になることを決意し、猛勉強を開始した。そして2004年9月、西南政法大学の法学部に入学。大学ではあからさまに彼女を避ける者はおらず、自らの病気の事についても話すようになった。21歳の時、李艶は美容整形の広告を目にした。最先端の設備と技術を誇る医院で、怪我や病気による欠損部復元の謳い文句もあった。早速訪れた李艶に対し、医師は医学的な協力を条件に治療費はいらないと告げた。2006年2月、左ふとももの皮下脂肪や皮膚を左頬に移植する手術が行われた。8時間に及ぶ手術は成功。さらに2007年4月、皮下脂肪の下に人工の骨を入れる骨を入れる手術が行われた。5時間40分に及ぶ手術が終わり、心配された拒絶反応もなく、李艶は失っていた顔を徐々に取り戻していった。

それから8か月、次の手術へ向け、一段落したという彼女の元をスタッフが尋ねた。両親の経営する雑貨店。彼女はいつもどおり店の手伝いをしていた。そこには明るい彼女がいた!スカーフで顔を隠すのを止めていた艶さん。萎縮の進行が止まったころと比べ最も変わったのは輪郭。形があることがうれしいという。「こんな顔になって生きていくのが何度も嫌になりました。そんな私をずっと励ましてくれた両親、そして、治療をしてくれた先生には本当に感謝しています。」という艶さん、手術の一方で地元の名門、西南政法大学に合格し、今年には卒業する予定。そして、彼女は家族のために弁護士を目指している。


進行性顔面片側萎縮症(パリー-ロンベルク症候群)とは、顔面の半側の組織が進行性に萎縮していく疾患とのことです。

皮下脂肪の減少などから、筋肉、骨の萎縮が緩徐に進行していきます。上顎や鼻唇溝や口唇などから始まり、舌、歯肉、軟口蓋、外鼻軟骨なども侵されていくこともあるようです。その速度やどの程度で止まるかといった進行度も、さまざまです。

上記ニュースのように、思春期前後の発症が多いようですが、幼児期に発症したり、中高年以降に発症するケースもあったり、性差としては女性が多いと言った報告や、性差無し、といったこともいわれているようです(稀な疾患であるため、データの集積が難しいようです)。

原因不明ですが、自律神経性の栄養障害、限局性強皮症との関連性などが指摘されています。

治療法としては、進行を止めるといったものは現在の所存在しません。進行が止まった後、筋肉や骨の移植手術を含めた遊離組織移植といった形成手術が行われます。上記ニュースでは、自身の大腿の筋肉を移植し、その後に生着を待ってから人工骨(Z字)を用いた手術が行われていました。

最近では、以下のように顔面の移植手術を受けた女性がいらっしゃいました。
フランスのディノワールさんは、2005年5月、飼い犬に鼻と唇、あごの一部を食いちぎられ、同年11月に40代の脳死女性から提供された顔の皮膚や筋肉を移植する手術を受けました。

上記ニュースのように、顔の一部移植は患者自身の背中や尻、ももの皮膚や筋肉を利用して手術が行われていますが、皮膚が乾いたり、十分に機能しないなどの問題があったそうです。やはり、十分な機能や美容面での問題を克服するには、顔面の移植が必要になるようです。

こうした顔面移植は、事故などで外傷を負ってしまった場合や、神経線維腫症などの疾患による美容面の改善、悪性黒色腫などの腫瘍切除後にその部分を補填する、などに対して行われるようです。

一般的な移植と同様に、拒絶反応や術後の感染症のような問題は存在し、術後は、免疫抑制剤を服用する必要があるでしょう。さらに、顔面移植となると、術前・術後の顔の様子はかなり感じが異なり、心理面でのサポートが必要になります。

李艶さんは非常に前向きに自身の病気と向き合い、克服していこうとしていました。そして何よりも、ご家族の暖かさが彼女を支えていたと思われます。弁護士を目指し、自身の夢に向かって歩み出した姿は、非常に頼もしく思われました。

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