以下は、ザ!世界仰天ニュースで扱われていた内容です。
1994年9月、静岡県。小児外科の松永医師の元に、母親と11歳の麻衣ちゃんはやって来た。夏休みから体調を崩し、お腹が異様に膨れ上がってきたというのだ。超音波で診察すると、腹部に陰が…。検査の結果、麻衣ちゃんは卵巣癌と診断された。「将来の夢はお母さんになること」といっていた麻依ちゃんにとって、あまりにも残酷な宣告。まだ小学生の麻依ちゃんに、両親は本当の病名を明かせなかった
その後の詳しい検査で、腫瘍が骨盤内のほぼ全てを占めるほど大きくなっていることが判明したが、幸い、周囲のリンパ節や肝臓・肺はの転移はなかった。診断から11日目、麻衣ちゃんの腫瘍摘出手術が行われた。しかし数時間に及ぶと言われていた手術が、1時間もしないで終了する。松永医師が開腹してみると、腫瘍が想像以上に成長していて全体像がつかめなかったのだ。
そこで腫瘍を部分切除し、細かい検査をした上でしっかりと闘える計画を立てる事にした。その結果、麻衣ちゃんの腫瘍は「未分化胚細胞腫」という、悪性の腫瘍で、将来卵子になるはずの細胞が正常に成熟せず、増殖して腫瘍化したものだということが分かった。国内では症例が少なく、まだ治療方法が確立していない病気。そんな中、松永医師は“ある思い"を持って治療計画を練っていた。
その計画は、増殖する腫瘍を、まず3種類の抗がん剤で小さくし、全体の大きさを把握しながら、摘出するタイミングを待つというものだった。ただし、この治療の副作用はかなり激しく、辛い治療になる事を、松永医師は麻衣ちゃんに優しく説明した。
想像を絶する苦しい化学治療が始まり、麻衣ちゃんは副作用で激しい吐き気と高熱に襲われる。そんな中、同室で一番小さな、このみちゃんと仲良くなり、お互いを励まし合うようになる。麻衣ちゃんの治療は順調に進み、入院して3か月が経った頃、遂に2度目の腫瘍除去手術が行われた。手術は5時間にも及び、麻依ちゃんを苦しめた腫瘍が漸く取り除かれた。そして両親は、これで麻依ちゃんが将来妊娠する可能性がなくなったということと理解した。
1995年2月、麻衣ちゃんは退院した。が、退院後、10年間は定期的な通院検査を受け、再発していないか確認しなければならない。ガンとの本当の闘いはこれからだった。麻衣ちゃんが退院して間もなく、松永医師は別の病院に転勤することになり、その後の麻衣ちゃんの定期検査は別の医師に引き継がれた。そんな中、このみちゃんが9歳という若さでこの世を去った。母親は今しかないと思い、麻衣ちゃんの本当の病名は「小児ガン」であったこと、そしてこのみちゃんも小児ガンで亡くなったことを告げる。麻衣ちゃんは真実を知り怖かったが、過酷な現実に前向きに立ち向かった。
月日は流れ2006年、松永医師は千葉県で小さな診療所を開業していた。開業して間もない夏の夕方、松永医師は診察室で見知らぬ若い女性から声を掛けられる。その女性こそは、12年前松永医師が小児がんの手術をした、あの大嶽麻衣ちゃんだったのだ!10年間、がん再発の恐怖と闘って、麻衣ちゃんは19歳の時、遂に命の危機から脱する事が出来たのだ。さらに、20歳で結婚し、その1年後にはなんと自然妊娠したのだ。また、23歳で2人目も授かった。・・実はあの時、松永医師は、将来麻衣ちゃんが妊娠出来るように治療計画を考えて、当時国内でも珍しい、世界最先端の治療法を実践していたのだ。「麻依ちゃんが掴んだ幸せは、今病気と闘っている子供たちの将来を明るく照らすガイドとなるに違いない。」松永医師はそう語った。
卵巣癌とは、卵巣に発生する悪性上皮性腫瘍のことを指します。卵巣腫瘍は、悪性と良性、その中間の低悪性(または境界型悪性)腫瘍に分類されます。卵巣にできる腫瘍の85%は良性となっています。
卵巣癌は、悪性卵巣腫瘍の中での76%を占め、組織学的には漿液性、粘液性、類内膜そして明細胞が主として発生します。悪性卵巣腫瘍のうち、卵巣癌の好発年齢は40〜60歳代と、比較的高いと考えられます。
卵巣がんの罹患率は40歳代から増加し、50歳代前半でピークを迎えてほぼ横ばいになり、80歳以上でまた増加します。家族性卵巣癌症候群や乳癌卵巣癌症候群など癌家族集積性を認める場合は、さらに若年発生です。
また、悪性胚細胞腫瘍の場合は20〜30歳代に好発し、妊娠合併例や妊孕性温存に関して問題になります。悪性腫瘍では、胚細胞性腫瘍(卵黄嚢癌、未分化胚細胞腫など)と非胚細胞性腫瘍(顆粒膜細胞腫など)があります。
小児における腹部原発の悪性腫瘍としては、神経芽腫が最も多く半数以上を占め、次いでWilms腫瘍(腎芽腫)、肝芽腫、横紋筋肉腫、悪性奇形腫が多く、また悪性リンパ腫も腹部腫瘤として発症する場合もあります。こうした疾患との鑑別が重要となります。
卵巣は生殖のための臓器で、ホルモン産生に関与する臓器です。腹腔内でも、骨盤腔の最も深いところに位置しています。そのため、卵巣の腫瘍性病変は良・悪性を問わず、かなり大きくなるまで自覚症状がないことが多いです。
悪性の場合、進行例として発見される症例が約半数を占めるということで、早期発見が難しい疾患といえると思われます。無症状のことが多いですが、比較的みられる症状としては、下腹部痛、腹部膨満、腹部腫瘤、不正性器出血、異常帯下などがあります。
大部分がぼんやりした不特定の症状、たとえば消化不良、腹部の膨隆、すぐに満腹感を覚える食欲不振、ガス痛、腰痛などをもっています。腫瘤の増大に伴い、下腹部痛や圧迫感も訴えることがあります。
最も一般的な初期発見は付属器の腫瘤で、腫瘤はしばしば固く不規則で固定されている状態になっているそうです。新生児頭大以上になると、自分で下腹部腫瘤として触れます。臨床進行期?期・?期の進行癌で発見される場合、癌性腹膜炎による腹水や腸閉塞症状、胸水による呼吸困難を訴えて来院することがあります。
麻衣ちゃんのケースでも、「腹部腫瘤」が主立った症状となっていました。このように症状は腹部腫瘤(多くは可動性のある球状の下腹部腫瘤)が多く、しばしば腹痛を伴います。卵巣腫瘍の茎捻転を起こすことがあり、この場合は急激な腹痛を訴えます。また、腫瘤の尿路閉塞により排尿障害をきたすこともあります。
治療としては、以下のようなものがあります。
1994年9月、静岡県。小児外科の松永医師の元に、母親と11歳の麻衣ちゃんはやって来た。夏休みから体調を崩し、お腹が異様に膨れ上がってきたというのだ。超音波で診察すると、腹部に陰が…。検査の結果、麻衣ちゃんは卵巣癌と診断された。「将来の夢はお母さんになること」といっていた麻依ちゃんにとって、あまりにも残酷な宣告。まだ小学生の麻依ちゃんに、両親は本当の病名を明かせなかった
その後の詳しい検査で、腫瘍が骨盤内のほぼ全てを占めるほど大きくなっていることが判明したが、幸い、周囲のリンパ節や肝臓・肺はの転移はなかった。診断から11日目、麻衣ちゃんの腫瘍摘出手術が行われた。しかし数時間に及ぶと言われていた手術が、1時間もしないで終了する。松永医師が開腹してみると、腫瘍が想像以上に成長していて全体像がつかめなかったのだ。
そこで腫瘍を部分切除し、細かい検査をした上でしっかりと闘える計画を立てる事にした。その結果、麻衣ちゃんの腫瘍は「未分化胚細胞腫」という、悪性の腫瘍で、将来卵子になるはずの細胞が正常に成熟せず、増殖して腫瘍化したものだということが分かった。国内では症例が少なく、まだ治療方法が確立していない病気。そんな中、松永医師は“ある思い"を持って治療計画を練っていた。
その計画は、増殖する腫瘍を、まず3種類の抗がん剤で小さくし、全体の大きさを把握しながら、摘出するタイミングを待つというものだった。ただし、この治療の副作用はかなり激しく、辛い治療になる事を、松永医師は麻衣ちゃんに優しく説明した。
想像を絶する苦しい化学治療が始まり、麻衣ちゃんは副作用で激しい吐き気と高熱に襲われる。そんな中、同室で一番小さな、このみちゃんと仲良くなり、お互いを励まし合うようになる。麻衣ちゃんの治療は順調に進み、入院して3か月が経った頃、遂に2度目の腫瘍除去手術が行われた。手術は5時間にも及び、麻依ちゃんを苦しめた腫瘍が漸く取り除かれた。そして両親は、これで麻依ちゃんが将来妊娠する可能性がなくなったということと理解した。
1995年2月、麻衣ちゃんは退院した。が、退院後、10年間は定期的な通院検査を受け、再発していないか確認しなければならない。ガンとの本当の闘いはこれからだった。麻衣ちゃんが退院して間もなく、松永医師は別の病院に転勤することになり、その後の麻衣ちゃんの定期検査は別の医師に引き継がれた。そんな中、このみちゃんが9歳という若さでこの世を去った。母親は今しかないと思い、麻衣ちゃんの本当の病名は「小児ガン」であったこと、そしてこのみちゃんも小児ガンで亡くなったことを告げる。麻衣ちゃんは真実を知り怖かったが、過酷な現実に前向きに立ち向かった。
月日は流れ2006年、松永医師は千葉県で小さな診療所を開業していた。開業して間もない夏の夕方、松永医師は診察室で見知らぬ若い女性から声を掛けられる。その女性こそは、12年前松永医師が小児がんの手術をした、あの大嶽麻衣ちゃんだったのだ!10年間、がん再発の恐怖と闘って、麻衣ちゃんは19歳の時、遂に命の危機から脱する事が出来たのだ。さらに、20歳で結婚し、その1年後にはなんと自然妊娠したのだ。また、23歳で2人目も授かった。・・実はあの時、松永医師は、将来麻衣ちゃんが妊娠出来るように治療計画を考えて、当時国内でも珍しい、世界最先端の治療法を実践していたのだ。「麻依ちゃんが掴んだ幸せは、今病気と闘っている子供たちの将来を明るく照らすガイドとなるに違いない。」松永医師はそう語った。
卵巣癌とは、卵巣に発生する悪性上皮性腫瘍のことを指します。卵巣腫瘍は、悪性と良性、その中間の低悪性(または境界型悪性)腫瘍に分類されます。卵巣にできる腫瘍の85%は良性となっています。
卵巣癌は、悪性卵巣腫瘍の中での76%を占め、組織学的には漿液性、粘液性、類内膜そして明細胞が主として発生します。悪性卵巣腫瘍のうち、卵巣癌の好発年齢は40〜60歳代と、比較的高いと考えられます。
卵巣がんの罹患率は40歳代から増加し、50歳代前半でピークを迎えてほぼ横ばいになり、80歳以上でまた増加します。家族性卵巣癌症候群や乳癌卵巣癌症候群など癌家族集積性を認める場合は、さらに若年発生です。
また、悪性胚細胞腫瘍の場合は20〜30歳代に好発し、妊娠合併例や妊孕性温存に関して問題になります。悪性腫瘍では、胚細胞性腫瘍(卵黄嚢癌、未分化胚細胞腫など)と非胚細胞性腫瘍(顆粒膜細胞腫など)があります。
小児における腹部原発の悪性腫瘍としては、神経芽腫が最も多く半数以上を占め、次いでWilms腫瘍(腎芽腫)、肝芽腫、横紋筋肉腫、悪性奇形腫が多く、また悪性リンパ腫も腹部腫瘤として発症する場合もあります。こうした疾患との鑑別が重要となります。
卵巣は生殖のための臓器で、ホルモン産生に関与する臓器です。腹腔内でも、骨盤腔の最も深いところに位置しています。そのため、卵巣の腫瘍性病変は良・悪性を問わず、かなり大きくなるまで自覚症状がないことが多いです。
悪性の場合、進行例として発見される症例が約半数を占めるということで、早期発見が難しい疾患といえると思われます。無症状のことが多いですが、比較的みられる症状としては、下腹部痛、腹部膨満、腹部腫瘤、不正性器出血、異常帯下などがあります。
大部分がぼんやりした不特定の症状、たとえば消化不良、腹部の膨隆、すぐに満腹感を覚える食欲不振、ガス痛、腰痛などをもっています。腫瘤の増大に伴い、下腹部痛や圧迫感も訴えることがあります。
最も一般的な初期発見は付属器の腫瘤で、腫瘤はしばしば固く不規則で固定されている状態になっているそうです。新生児頭大以上になると、自分で下腹部腫瘤として触れます。臨床進行期?期・?期の進行癌で発見される場合、癌性腹膜炎による腹水や腸閉塞症状、胸水による呼吸困難を訴えて来院することがあります。
麻衣ちゃんのケースでも、「腹部腫瘤」が主立った症状となっていました。このように症状は腹部腫瘤(多くは可動性のある球状の下腹部腫瘤)が多く、しばしば腹痛を伴います。卵巣腫瘍の茎捻転を起こすことがあり、この場合は急激な腹痛を訴えます。また、腫瘤の尿路閉塞により排尿障害をきたすこともあります。
治療としては、以下のようなものがあります。
早期癌症例の場合、卵巣癌根治手術と補助化学療法が基本となります。進行癌症例では、腫瘍減量手術と寛解導入化学療法が基本となります。
早期癌に対する卵巣癌根治手術としては、原則として「子宮全摘術+両側付属器切除術+大網切除術+骨盤および傍大動脈リンパ節廓清術」となります。
また、進行癌症例に対してはこれらに加え、できるだけ多くの腹腔内腫瘍を除去する「腫瘍減量手術」を行い、場合によっては腸管をはじめとする他臓器の合併切除を行います。
卵巣腫瘍疑いと診断した場合は、原則として腫瘍を摘出することになります。術中迅速病理診断が境界悪性、または悪性となった場合は、基本術式として単純子宮全摘術、両側付属器切除術、大網切除術を行います。
また、進行期の確定のために横隔膜下面以下の腹腔内の視触診、腹腔細胞診、腹腔内生検、後腹膜リンパ節の郭清術または生検を行います。次に、腹腔内に腫瘍が広がっている場合は、可及的腫瘍縮小術を行います。
上記のケースでは、まず化学療法にて腫瘍を縮小させ、その上で卵巣癌根治手術が行われておりました。胚細胞性悪性腫瘍に対する標準的寛解導入・補助化学療法としては、BEP療法が行われています。
BEP療法の「B」とは、ブレオマイシン(ブレオ)であり、「E」はエトポシド(ランダ)、「P」はシスプラチン(ランダ)のそれぞれの頭文字をとっています。これを3週間隔で3コース以上行います。
こうした化学療法に耐え、麻衣ちゃんは再び手術に向かいました。子宮全摘術は行われず、その結果、子供も産むことができたそうです。
本人の頑張りはもちろんのことですが、周囲の人々の支えもあっての現在があると思われます。お母さんの「泣くときは、病院のトイレで密かに泣いた。泣いたと悟られないように、水に顔を浸けて泣いた」といったエピソードを聞くと、小児がんと闘う人びとの大変さが忍ばれます。
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早期癌に対する卵巣癌根治手術としては、原則として「子宮全摘術+両側付属器切除術+大網切除術+骨盤および傍大動脈リンパ節廓清術」となります。
また、進行癌症例に対してはこれらに加え、できるだけ多くの腹腔内腫瘍を除去する「腫瘍減量手術」を行い、場合によっては腸管をはじめとする他臓器の合併切除を行います。
卵巣腫瘍疑いと診断した場合は、原則として腫瘍を摘出することになります。術中迅速病理診断が境界悪性、または悪性となった場合は、基本術式として単純子宮全摘術、両側付属器切除術、大網切除術を行います。
また、進行期の確定のために横隔膜下面以下の腹腔内の視触診、腹腔細胞診、腹腔内生検、後腹膜リンパ節の郭清術または生検を行います。次に、腹腔内に腫瘍が広がっている場合は、可及的腫瘍縮小術を行います。
上記のケースでは、まず化学療法にて腫瘍を縮小させ、その上で卵巣癌根治手術が行われておりました。胚細胞性悪性腫瘍に対する標準的寛解導入・補助化学療法としては、BEP療法が行われています。
BEP療法の「B」とは、ブレオマイシン(ブレオ)であり、「E」はエトポシド(ランダ)、「P」はシスプラチン(ランダ)のそれぞれの頭文字をとっています。これを3週間隔で3コース以上行います。
こうした化学療法に耐え、麻衣ちゃんは再び手術に向かいました。子宮全摘術は行われず、その結果、子供も産むことができたそうです。
本人の頑張りはもちろんのことですが、周囲の人々の支えもあっての現在があると思われます。お母さんの「泣くときは、病院のトイレで密かに泣いた。泣いたと悟られないように、水に顔を浸けて泣いた」といったエピソードを聞くと、小児がんと闘う人びとの大変さが忍ばれます。
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小児癌で亡くなった4歳の少女が、2年間思いを綴った