以下は、最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学で扱われていた内容です。

横浜ベイスターズがまだ大洋ホエールズだった時代、大魔神・佐々木主浩投手とともに、ダブルストッパーとして活躍した盛田幸妃(当時28)さん。その後、大阪近鉄バファローズに移籍した彼は、1998年5月、大阪ドームでの試合中に右膝に妙な違和感を覚えます。

その翌月、眠りについたとき、右足首が突然震え出した盛田さん。その後も、更なる異変が彼を襲い続けました。具体的には、以下のような症状がみられ始めました。
1)右膝の違和感
2)右足首の痙攣
3)右膝下の力が抜ける
4)右足の激しい痙攣

このような症状が見られ、病院を受診した盛田さんは、髄膜腫と診断されました。

脳腫瘍の中では、脳実質由来の神経膠腫、脳を包む髄膜から発生する髄膜腫、脳神経鞘から発生する神経鞘腫、脳下垂体前葉から発生する下垂体腺腫で原発性脳腫瘍の80%を占めます。そのほかに頭蓋咽頭腫、胚腫・胚細胞性腫瘍などは本邦に比較的多いです。近年では、悪性リンパ腫も増加傾向にあります。

髄膜腫は、中枢神経を被う硬膜に付着して発生する、くも膜細胞由来の腫瘍です。そのため、くも膜顆粒のある所に発生しやすいです。簡単に言ってしまえば、脳腫瘍の一種で、何らかの原因で脳を守る膜から生じる腫瘍のこと。腫瘍が圧迫する脳の場所によって、様々な症状が起こります。

具体的には、脳室内や、稀に頭蓋外にも発生します。髄膜腫は発生部位により頭蓋骨円蓋部、頭蓋底部、脊髄腔の各部位の名称で分類されます。

中年以降の女性に多く、症状としては痙攣、徐々に出現する片麻痺や脳神経麻痺、認知症などで発症します。硬膜に付着して発育し、脳の圧排症状を呈します。テント上が9割を占め、大脳円蓋部は焦点発作や不全麻痺を起こし、傍矢状部は下肢の片麻痺を生じる可能性があります。

盛田さんの場合は、前頭葉の一部、右半身の運動を司る運動野に腫瘍ができていました。そのため、右足膝下に痙攣などの異常が出たのです。しかし、髄膜腫のほとんどは良性で転移することはなく、手術で取り除くことができれば予後はいいと言われています。

診断では、頭部CTやMRIなどが有用です。単純CTでは境界鮮明な軽度高吸収域を示し、造影CTで比較的均一に造影されます。MRIではT1、T2ともやや延長する傾向にあり、Gd増強T1強調画像で著明に増強されます。付着部の硬膜も増強されることがあり、髄膜腫に特徴的とされます。

治療としては、以下のようなものがあります。
髄膜腫ではその発生部位や大きさにより手術の難易度が異なりますが、基本的には良性腫瘍であり5年生存率は90%以上となっています。

髄膜腫などの良性腫瘍の多くは、顕微鏡下手術による全摘出により治癒が期待できますが、発生部位や大きさによっては手術により重篤な神経症状をきたす場合もあり、定位的放射線治療(ガンマナイフ)などの治療オプションも考えられます。

γナイフなども、治療選択として重要です。γナイフにより病変部に限局して大量の放射線を照射することが可能であり、髄膜腫にも有用です。

原理としては、多数(201個)のコバルト60線源を半球上に配置し、各線源から放射されるビーム(γ線)をコリメートし、半球内の1点(焦点位置)に集中するようにした照射装置のことです。

焦点位置と病巣位置を合致させることにより、線量集中性のきわめて高い放射線治療が可能となります。本装置を用いると、頭蓋内の病巣に1回で大線量を照射して、病巣を破壊することができます。

盛田さんの腫瘍には、2つの深刻な問題がありました。1つ目の問題は、上矢状洞という髄膜の中を通る太い血管の壁から腫瘍が発生していたこと。この血管を傷つければ、すぐに大出血を起こします。

2つ目の問題は、運動野の真ん中に腫瘍ができていることでした。そこは野球選手にとって命ともいえる運動機能を司る場所。わずかでも傷つければ、確実に後遺症が残ってしまいます。そう、盛田さんの腫瘍は、少しも傷をつけることができない箇所に囲まれていたのです。

手術では、なんとしても太い血管と運動野を守らなくてはなりません。そこで、腫瘍を少しずつ切り離し、その隙間に綿を挿入。太い血管と運動野を守りながら腫瘍を摘出していく方法がとられることになりました。これを幾度となく繰り返し、ようやく腫瘍の全摘出ができるのです。しかし、盛田さんの腫瘍は脳の中心に達しそうなほど巨大化し、手術は途方もなく長く、大変なものになることが予想されました。
 
手術が行われたのは、1998年09月10日。まず脳を露出させるために、頭蓋骨にドリルで穴を開け、それを線でつなぐように頭蓋骨を切り取ることから始まりました。上矢状洞から腫瘍を少しずつ切り離します。この時、当時横浜南共済病院脳神経外科部長だった桑名信匡先生(※現・東京共済病院院長)が使うのが、「バイポーラピンセット」と呼ばれるもの。先端に電極がついているピンセットを使い、癒着した腫瘍を焼いて切り離します。

また、「手術顕微鏡」を用いて手術を行いました。高さ2 mの巨大な顕微鏡を使い、患部を12倍にまで拡大しながら数ミリ単位の作業をこなしていきます。30分以上かけ、癒着部分を5 mmほど太い血管からはがしたら、綿を挿入します。こうして少しずつ、太い血管の安全を確保。血管と腫瘍の境界を明確にしていきます。
 
そして「超音波手術器」も用いました。機械内部で発生する超音波が、1秒間に2万5千回もの振動を腫瘍に与えると、腫瘍は液化し吸い取れるようになるのです。とはいえ、1時間で吸い取れる腫瘍の深さは、およそ1 cm。太い血管を守りながら繊細な作業を続け、ようやく腫瘍が姿を現しました。そして、ついに10時間に渡った腫瘍の摘出手術は、無事成功。

盛田さんはその後、1年に及ぶリハビリを経て、マウンドへの復活を果たしました。

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