2007年07月15日放送の「ザ ノンフィクション」で取り上げられていた内容です。
1986年、群馬県大胡町(現前橋市堀越町)にある養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」で『天使の宿』と呼ばれる、赤ちゃんポストと同様の施設が設置されていました。それから5年、1992年2月に施設内の新生児が凍死する事故が発生するまで、設置されていたそうです。
現在では、熊本県熊本市の慈恵病院が赤ちゃんポスト(「こうのとりのゆりかご」の呼称を用いている)の設置され、2007年5月10日から運用が開始されています。その前身となる「赤ちゃんポスト」に入れられた赤ちゃんたち。彼らの「今」を取材したのがこの番組です。
彼らは、既に20歳になっています。赤ちゃんポストに入れられた子供達は、男の子3人、女の子3人の計6人でした。
一人の男性は、「有名になれば両親も名乗り出てくるのではないか」と思い、プロ野球選手を目指し、野球に打ち込んでいました。一時はスポーツ推薦で、有名な私立校からお声が掛かりましたが、園の資金的な問題から断念せざるを得なかったそうです。その後、肘を壊してしまって野球の道を断念せざるを得なかった。それからは荒れてしまい、不良グループと行動を共にするようになってしまい、「自分の悪口を言っている」と聞かされた少年に暴力をふるい、少年院に入ることになってしまいました。そこで、友人であると思っていた少年達が庇ってくれず、人を信じることが出来なくなってしまったそうです。出所後も、荒れた生活をしていたようです。一度、職についても長続きしなかった、とのこと。
ですが、次に働いた職場での出会いが、彼を変えました。自分を認めてくれる人との出会いで、ようやく彼の凍ってしまった心を溶かすことができたようです。
一人の女性は、現在、男の子を出産し、子育てに必死になっています。当時18歳の時の出産でした。父親となるのは、当時15歳の少年です。今は、少年の父親と同居して暮らしています。
彼女は、園の中でも一番さみしがりやの女の子だったそうです。スタッフにも積極的にスキンシップをしてくる少女でした。彼女は高校の時に、はじめて男性と交際しました。その時、堕胎を一度経験したそうです。
その後、寂しさをうめるために次々に男性と交際したそうです。そんな中で付き合ったのが、現在の同居相手である少年です。そして、妊娠しました。妊娠を彼の親類に報告すると、反対されたそうです。ですが、少年の父親は「二人で生活できるまで、俺が面倒をみる。だから、産め」と言ったそうです。父親は彼らのために一戸建てを購入し、同居しています。
ですが、生活は苦しい。少年は年齢のため、就職先がない。そのため、収入が無く、生活していくのが大変です。しかも、少年は夜遊びを繰り返し、彼女は不安な日々を過ごしていました。時には理不尽な暴力をふるわれることもあったそうです。そんなとき、「私なんか生まれてこなければ良かった…子供がいなかったら、とっくに自殺してしまっていた」と思ってしまうそうです。
彼らだけではなく、もう一人男性が登場していました。彼は唯一、高校を卒業し、現在は印刷会社に就職したそうです。彼は、自分を育ててくれた人に感謝し、「人を助ける仕事がしたい」と考えているそうです。将来的に、消防士になりたいと語っていました。
『私なんか生まれてこなければ良かった』という彼女の言葉や、『生みの親は、もはや他人だ。会いたくもない』という男性の言葉が、胸に突き刺さりました。想像していたよりも過酷で、どんな思いで生きてきたのか、垣間見ることができました。
彼女は、授業参観や友人の家庭をみると、やはり両親の不在ということを、強く考えざるを得ない、と語っていたました。寂しさが募り、それを埋めるように男性と付き合っていったようです。
彼らに共通するように、どことなく寂しげな目が、切なくて仕方ありませんでした。
たしかに、彼らを育て上げた施設スタッフの方たちの努力無くしては賞賛すべきであると思いますし、尊い行為であると思います。ですが、「天使の宿」設置で彼らが親の手を離れて暮らさなければならなくなった、という悲劇を生み出してしまったのではないか、とも思ってしまいます。
一人の男の子が放置された隣に、手紙が添えられていたそうです。まだ、あどけなさが残るその文字で、「いつか、引き取りにきます。それまでよろしくお願いします」と。
もしかしたら、「赤ちゃんポスト」の存在がなかったら、何とか育てようと彼の親は懸命に努力を続けたのではないか、と思ってしまうのです。「幼い命を救う」という尊い志の陰で、放置された子供達が、寂しくてしかたない、心の一部が欠落したような喪失感を抱えながら、生きていかなければならないという残酷さが存在しているのではないか、と考えさせられました。
仲睦まじく、まるで「きょうだい」のように施設に集う姿を見て、涙がこみ上げてきました。互いに心を満たすように、同じ傷を癒すように、寂しさを埋めるように、彼らは優しく微笑んでいました。
現在の「赤ちゃんポスト」の存在が、放置された子供たちの『家』となり、悲しみや寂しさを乗り越えられる場所になってくれれば、と願わずには得られません。
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現在では、熊本県熊本市の慈恵病院が赤ちゃんポスト(「こうのとりのゆりかご」の呼称を用いている)の設置され、2007年5月10日から運用が開始されています。その前身となる「赤ちゃんポスト」に入れられた赤ちゃんたち。彼らの「今」を取材したのがこの番組です。
彼らは、既に20歳になっています。赤ちゃんポストに入れられた子供達は、男の子3人、女の子3人の計6人でした。
一人の男性は、「有名になれば両親も名乗り出てくるのではないか」と思い、プロ野球選手を目指し、野球に打ち込んでいました。一時はスポーツ推薦で、有名な私立校からお声が掛かりましたが、園の資金的な問題から断念せざるを得なかったそうです。その後、肘を壊してしまって野球の道を断念せざるを得なかった。それからは荒れてしまい、不良グループと行動を共にするようになってしまい、「自分の悪口を言っている」と聞かされた少年に暴力をふるい、少年院に入ることになってしまいました。そこで、友人であると思っていた少年達が庇ってくれず、人を信じることが出来なくなってしまったそうです。出所後も、荒れた生活をしていたようです。一度、職についても長続きしなかった、とのこと。
ですが、次に働いた職場での出会いが、彼を変えました。自分を認めてくれる人との出会いで、ようやく彼の凍ってしまった心を溶かすことができたようです。
一人の女性は、現在、男の子を出産し、子育てに必死になっています。当時18歳の時の出産でした。父親となるのは、当時15歳の少年です。今は、少年の父親と同居して暮らしています。
彼女は、園の中でも一番さみしがりやの女の子だったそうです。スタッフにも積極的にスキンシップをしてくる少女でした。彼女は高校の時に、はじめて男性と交際しました。その時、堕胎を一度経験したそうです。
その後、寂しさをうめるために次々に男性と交際したそうです。そんな中で付き合ったのが、現在の同居相手である少年です。そして、妊娠しました。妊娠を彼の親類に報告すると、反対されたそうです。ですが、少年の父親は「二人で生活できるまで、俺が面倒をみる。だから、産め」と言ったそうです。父親は彼らのために一戸建てを購入し、同居しています。
ですが、生活は苦しい。少年は年齢のため、就職先がない。そのため、収入が無く、生活していくのが大変です。しかも、少年は夜遊びを繰り返し、彼女は不安な日々を過ごしていました。時には理不尽な暴力をふるわれることもあったそうです。そんなとき、「私なんか生まれてこなければ良かった…子供がいなかったら、とっくに自殺してしまっていた」と思ってしまうそうです。
彼らだけではなく、もう一人男性が登場していました。彼は唯一、高校を卒業し、現在は印刷会社に就職したそうです。彼は、自分を育ててくれた人に感謝し、「人を助ける仕事がしたい」と考えているそうです。将来的に、消防士になりたいと語っていました。
『私なんか生まれてこなければ良かった』という彼女の言葉や、『生みの親は、もはや他人だ。会いたくもない』という男性の言葉が、胸に突き刺さりました。想像していたよりも過酷で、どんな思いで生きてきたのか、垣間見ることができました。
彼女は、授業参観や友人の家庭をみると、やはり両親の不在ということを、強く考えざるを得ない、と語っていたました。寂しさが募り、それを埋めるように男性と付き合っていったようです。
彼らに共通するように、どことなく寂しげな目が、切なくて仕方ありませんでした。
たしかに、彼らを育て上げた施設スタッフの方たちの努力無くしては賞賛すべきであると思いますし、尊い行為であると思います。ですが、「天使の宿」設置で彼らが親の手を離れて暮らさなければならなくなった、という悲劇を生み出してしまったのではないか、とも思ってしまいます。
一人の男の子が放置された隣に、手紙が添えられていたそうです。まだ、あどけなさが残るその文字で、「いつか、引き取りにきます。それまでよろしくお願いします」と。
もしかしたら、「赤ちゃんポスト」の存在がなかったら、何とか育てようと彼の親は懸命に努力を続けたのではないか、と思ってしまうのです。「幼い命を救う」という尊い志の陰で、放置された子供達が、寂しくてしかたない、心の一部が欠落したような喪失感を抱えながら、生きていかなければならないという残酷さが存在しているのではないか、と考えさせられました。
仲睦まじく、まるで「きょうだい」のように施設に集う姿を見て、涙がこみ上げてきました。互いに心を満たすように、同じ傷を癒すように、寂しさを埋めるように、彼らは優しく微笑んでいました。
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